黒的(読み)こくてき

世界大百科事典(旧版)内の黒的の言及

【元】より

…これが学問面では老荘的な無為思想への傾斜をきたし,芸術面では山水の中に心境を託する文人画,田園詩となって現れてくる。モンゴル帝国【愛宕 松男】
【日本との関係】
 1266年(文永3)フビライは通好のため黒的,殷弘を国信使として日本に派遣したが,風波が荒く,渡日せぬまま帰国した。翌67年フビライは高麗に命じて日本へ元の国書を伝達させ,高麗は潘阜を使者として日本に派遣した。…

【高麗】より

…高麗ではモンゴル軍の朝鮮半島制圧を機に三別抄の軍が蜂起したが,彼らの一部は日本に援助をもとめる使者を送ってきた。高麗を圧服させたモンゴルのフビライ(世祖)は,高麗人趙彝(ちようい)のすすめに従って日本に使者を派遣することにし,1266年(高麗元宗7∥元至元3∥文永3)に使者黒的(こくてき)・殷弘(いんこう)を任命した。黒的らは巨済島まで至ったが日本には渡らずにひきかえし,日本との交渉は不可能であると復命した。…

※「黒的」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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