黒駒太子(読み)くろこまたいし

世界大百科事典(旧版)内の黒駒太子の言及

【聖徳太子】より

…《正法輪蔵》ではこれを輪王の七宝中の馬宝と女宝であると解釈し,黒駒に乗る太子は,諸国の霊山を巡行して熊野や伊勢などの神々の本地垂迹(ほんじすいじやく)の相を明らかにし問答して結縁する。それは,東北に多い黒駒太子像が示すように山岳宗教と結びついて生まれた伝承だろう。黒駒とともに太子に随行する舎人(とねり)の調子麿(丸)は,太子没後も墓を守ったというが,13世紀に法隆寺の顕真がその子孫と称して太子伝の秘事口伝《聖徳太子伝私記》を集成したように,太子伝承を担う存在として意識されていた。…

※「黒駒太子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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