外ハルハ(読み)そとはるは

世界大百科事典(旧版)内の外ハルハの言及

【ハルハ】より

…アルジュの子孫は内ハルハとして内モンゴルにとどまり,南下して遼河およびそれ以西に広がり,今のバーリン(巴林),ジャルート(札魯特)などになった。一方,ゲレセンジェの子孫は外ハルハといい,ヘンテイ山脈方面のウリヤンハイ族が滅亡したとき,同地に西進し,また1552年アルタン・ハーンのオイラート族攻撃の結果ハンガイ山脈方面に広がり,現在のハルハの分布に近づいていった。16世紀末,東からツェツェン・ハン部,トシェート・ハン部,ザサクト・ハン部に分かれており,1725年サイン・ノヤン部がトシェート・ハン部から分かれて4部となった。…

※「外ハルハ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」