田令孜(読み)でんれいし

世界大百科事典(旧版)内の田令孜の言及

【王建】より

…のちに忠武軍の兵卒ついで隊将となり,黄巣の討伐に参加。蜀に逃れていた唐の僖宗のもとに赴いて喜ばれ,観軍容使の宦官田令孜(でんれいし)(?‐893)の養子にされた。みずから求めて西川監軍となった田令孜に代わって,観軍容使となった楊復恭によって,四川の壁州刺史に任じられた王建は,亡命者などを糾合して勢力を築き,891年(大順2),成都によっていた西川節度使陳敬瑄と監軍の田令孜らを殺し,ついに唐から西川節度使に任ぜられた。…

【僖宗】より

…12歳で即位したため実権はほぼ宦官勢力に握られ,遊蕩の生活にあけくれた。宦官田令孜(?‐893)は禁軍の力を盾に僖宗をあやつり,宰相ら清流派の官僚と対立し,互いに藩鎮の武力を借りようとしたため,混乱は地方にまで及び,王仙芝,黄巣に代表される諸反乱(黄巣の乱)を誘発。僖宗は都を逃れ,鳳翔(宝鶏市),興元(城固県)など陝西各地を転々とする生活を強いられた。…

※「田令孜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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