世界大百科事典(旧版)内の10ヵ国蔵相会議の言及
【IMF】より
…かかる背景のもとに先進諸国は,金相場安定協定,金プール協定,中央銀行間のスワップ協定,金の二重価格制,利子平衡税(アメリカ)等をつぎつぎに打ち出したが,IMF自身としても,1962年には従来の資金源の枠外に,主要加盟国10ヵ国(アメリカ,イギリス,西ドイツ,フランス,イタリア,日本,カナダ,オランダ,ベルギー,スウェーデン)による発足時60億ドルのいわゆる一般借入取決め(GAB)によるスタンドバイ形式の資金(スタンドバイ・クレジット)増加を決定し,大口貸出しに対処することにした。この構成メンバーである10ヵ国(G‐10)は,その後の通貨制度改革や国際金融上の重要事項決定につき随時会合し(10ヵ国蔵相会議),大きな役割をもつに至った。
[変動相場制への移行とIMF]
さて,国際流動性の主要供給源としては戦後一貫して米ドルの増加に頼ってきたが,そのためにはアメリカの国際収支が赤字にならなければならず,一方,アメリカの赤字はいっそう米ドルの信認を低下させるという〈流動性ジレンマ〉が生ずる。…
【国際金融協力】より
…1930年代の世界恐慌の際に各国が採った近隣窮乏化政策(具体的には為替相場切下げ競争,為替管理の強化,保護主義の高まりと輸入制限競争)による破滅的体験にかんがみ,第2次大戦後は,ブレトン・ウッズ体制といわれるIMF(国際通貨基金)を中心とする国際為替金融に関する取決めが結ばれた。為替相場の安定を目標に,貿易・為替の自由化を促進し,世界貿易ひいては世界経済の発展を目途とする国際的な協力体制ができあがり,めざましい成功をおさめた。…
※「10ヵ国蔵相会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」