《19世紀の諸基盤》(読み)じゅーきゅーせいきのしょきばん

世界大百科事典(旧版)内の《19世紀の諸基盤》の言及

【チェンバレン】より

…のちバイロイトに居を移し,ワーグナーの娘エバと再婚,1916年にはドイツに帰化した。主著《19世紀の諸基盤》2巻(1899)で一種の人種主義的歴史哲学を展開したが,それは,J.A.deゴビノーの学説に負いながらアーリヤ人が未来のヨーロッパを担う真の文化創造力を持った人種だとするもので,第1次世界大戦に際してはドイツによるゲルマン民族圏の征覇を求めるパン・ゲルマン主義の主張となった。その人種主義はナチズムの思想的基盤となった。…

※「《19世紀の諸基盤》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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