《19世紀ヨーロッパ史》(読み)じゅうきゅうせいきよーろっぱし

世界大百科事典(旧版)内の《19世紀ヨーロッパ史》の言及

【クローチェ】より

…また,ファシズムが登場したとき,最初それを政治的秩序の回復力として支持したが,ファシズムが文化を支配し,ジェンティーレらの《ファシズム知識人宣言》(1925)が発表されると,これに反発して反ファシズムに転じた。そしてこれを機会に,政治と倫理の関係に反省を加え,倫理的価値の理想が〈自由〉であることを理論化し,自由を理想としない政治に対する批判を続けながら,歴史を自由の歴史として描いた《19世紀ヨーロッパ史》(1932)などを公刊した。しかし,彼の自由主義は反ファシズムであると同時に,反社会主義・反民主主義の性格をとっており,民衆のレジスタンス闘争には否定的な態度を示した。…

※「《19世紀ヨーロッパ史》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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