世界大百科事典(旧版)内の7月26日運動の言及
【カストロ】より
…53年7月26日,同志とともに当時のバティスタ独裁政権を武力で打倒すべく,サンチアゴ・デ・クーバの郊外にあるモンカダ兵営を襲撃したが,失敗し捕らえられ,その裁判で〈歴史は私に無罪の宣告をするであろう〉と自ら弁論を行った。その後〈7月26日運動〉を結成し,革命闘争を指導して59年1月1日ついにバティスタ独裁を打倒した。革命政府の首相となり,キューバをアメリカの半植民地的支配から解放するとともにラテン・アメリカで最初の社会主義革命を実現させた。…
【キューバ革命】より
… ところで,襲撃に失敗し捕らえられたカストロは裁判にかけられ,ここで有名な〈歴史は私に無罪を宣告するであろう〉という自己弁論を行ったのである。カストロらはやがて恩赦により出獄し,56年に反バティスタ闘争の準備のためメキシコに渡り,そこで既存の改良主義政党とは絶縁した独自の組織である〈7月26日運動〉を結成した。メキシコでE.ゲバラ(愛称チェ・ゲバラ)を同志として受け入れたカストロらはゲリラ戦の訓練を積んだのち,56年11月グランマ号で再び武力でバティスタを打倒すべくキューバに向かった。…
【ポプリスモ】より
…下層大衆の参加に関しては,階級構造論者の一部は社会心理的解釈を受け入れ,大衆の操作されやすさを強調するが,大衆の自発的参加を主張する論者もいる。なお,ポプリスモはすでに触れたように多くの場合抜本的変革には批判的だが,キューバにおいてポプリスモ的な性格の強かった,カストロの指導する〈7月26日運動〉が社会主義革命を生み出し,キューバ革命に刺激を受けた一部のポプリスモ運動が急進化(たとえばアプラ反乱派の誕生など)したことは,ラテン・アメリカのポプリスモの幅の広さとそれを一般化することの難しさを物語るものであろう。【松下 洋】。…
※「7月26日運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」