Tiglath-pileserI(その他表記)TiglathpileserI

世界大百科事典(旧版)内のTiglath-pileserIの言及

【アッシリア】より

…前3千年紀以来のアッシリア商業の伝統が,前2千年紀後半のこの中期アッシリアに至って強烈な軍国主義と結びつき,新交易路の開拓と領土拡大が連動したのである。しかし王の死後はティグラトピレセル1世Tiglath‐pileser I(在位,前1115‐前1077)の地中海やワン湖にまで進出した軍事的・経済的成功を除いて,アッシリアはふたたび長い雌伏期に入り,西方諸民族,ことにアラム人や東方の山岳民族ルルビの侵入・圧迫に苦しみ,その領土はティグリス川流域の狭い地域に縮小した。
【前1千年紀】

[新しい帝国の誕生]
 前1千年紀はじめのメソポタミア史上のもっとも重要な要素は,半遊牧民アラム人の不断の脅威であった。…

※「Tiglath-pileserI」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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