Vitigis(その他表記)Vitigis

世界大百科事典(旧版)内のVitigisの言及

【テオダハド】より

…テオダハドはシチリア譲渡や貢納金・兵員の拠出を,次いで東ローマ領内での身分相応の生活保障を条件に退位を約したが,ダルマティアでの戦況好転で翻意した。東ローマ軍の攻勢再開でナポリが落ちると,東ゴート族はウィティギスVitigis(在位536‐540)を新王とし,テオダハドはラベンナへの逃亡途上で捕まり殺された。【後藤 篤子】。…

【東ゴート王国】より

…534年アタラリックが王位継承者を残さないままに早世し,アマラスンタのいとこテオダハドが王位に就いたが,536年に暗殺される。その結果,政権を握ったのがゴート人の将軍ウィティギスVitigisであった。だが名将ベリサリオスの率いるビザンティン軍は南部から上陸し,この年の暮れにローマに入り,イタリアを帝国に再び編入した。…

※「Vitigis」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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