改訂新版 世界大百科事典 「テオダハド」の意味・わかりやすい解説
テオダハド
Theodahad
生没年:?-536
東ゴート王。在位534-536年。テオデリック王の甥。トスカナに大所領を得て,古典文化に傾倒していた。534年10月のアタラリック王Athalarich(在位526-534)の死後,王母アマラスンタAmalasunthaはいとこテオダハドを王と宣して共同統治を図ったが,テオダハドは彼女を監禁・処刑(535),東ローマ皇帝ユスティニアヌスはこの件を口実にゴート戦争を開始した。テオダハドはシチリア譲渡や貢納金・兵員の拠出を,次いで東ローマ領内での身分相応の生活保障を条件に退位を約したが,ダルマティアでの戦況好転で翻意した。東ローマ軍の攻勢再開でナポリが落ちると,東ゴート族はウィティギスVitigis(在位536-540)を新王とし,テオダハドはラベンナへの逃亡途上で捕まり殺された。
執筆者:後藤 篤子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報