世界大百科事典(旧版)内の‘Abdal-‘Azīzの言及
【イスラム】より
…近代のイスラムにおける危機感の主要な内容は,イスラム国家の喪失感(制度・思想の両面における)であったといえる。それは,シャー・ワリー・ウッラーの子アブド・アルアジーズ‘Abd al‐‘Azīz(1746‐1824)が,イギリス人支配下のインドは,もはやイスラム世界の範囲外にあるダール・アルハルブ(戦争の家)であると宣言したファトワー(1803)に始まって,トルコ革命下でのカリフ制廃止(1924)にまでいたる過程のなかで,しだいにまったく癒しがたいものとなっていった。伝統的支配イデオロギーの構造は,イスラム法(シャリーア)とイスラム神秘主義の複合として示され,ウラマーと教団(タリーカ)とが政治的・社会的統合のチャンネルとして機能してきたが,このような伝統的システムは急速に弱体化し分解していった。…
【シャー・ワリー・ウッラー】より
…彼はイスラムの思想の浄化を目ざしたが,単に,イスラム神学・宗教思想の面にとどまらず,当時の社会体制にまで批判を向けた。インドにおける近代イスラム思想の先駆者とみなされており,彼の死後,その理論は子のアブドゥル・アジーズShāh ‘Abd al‐‘Azīz(1746‐1824)に受け継がれ,実践に移された。彼の思想は19世紀に入って反英運動へと発展していった。…
※「‘Abdal-‘Azīz」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」