世界大百科事典(旧版)内の‘Abdal-Malikの言及
【ウマイヤ朝】より
…その没後,フサインのカルバラーでの戦死を経て,683年にはメッカのイブン・アッズバイルがカリフと称し,685年クーファではムフタールの乱があり,同朝は存亡の危機に陥った。これを第2次内乱(683‐692)というが,第5代カリフのアブド・アルマリク‘Abd al‐Malik(646∥647‐705。在位685‐705)は,これらを平定して帝国を再建した。…
【マルワーン家】より
…685年,シリアの反ウマイヤ家で,メッカのカリフ,イブン・アッズバイルに従う勢力をマルジュ・ラーヒトの戦で一掃し,シリアでのウマイヤ家の地位を再確立し,没した。 子のアブド・アルマリク‘Abd al‐Malik(在位685‐705)は第5代カリフとして父の事業を継承し,第2次内乱を終結させウマイヤ朝存亡の危機を救った。第8代のウマル2世と第14代のマルワーン2世を除くと,すべてアブド・アルマリクの子孫がカリフ位を継承したが,その2者ともマルワーンの子孫であるので,マルワーン以後のウマイヤ朝をスフヤーン家出身の前3代と対照的にマルワーン朝と呼んでさしつかえない。…
※「‘Abdal-Malik」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」