世界大百科事典(旧版)内のal-Muwaffaqの言及
【ザンジュの乱】より
…ザンジュを主力とするその軍は,2度アフワーズに進攻し,また中部イラクのワーシトを一時占領した。当時のアッバース朝はマムルーク軍団が政治を壟断し,軍閥間の対立・抗争が絶えず,無政府状態に近かったが,カリフの弟で将軍ムワッファクal‐Muwaffaq(?‐891)が実権を握るに及んで立ち直ってきた。ムワッファクは自ら軍を率いて反乱軍に反撃し,反乱軍はしだいに追いつめられ,首都ムフターラの陥落とアリーの死をもって反乱は終わった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」