世界大百科事典(旧版)内のAndronikosの言及
【アリストテレス】より
…このリュケイオン校の学頭をつとめていた12年間は,研究・教育の両面で最も円熟した時期であったが,前323年アレクサンドロスがバビロンで急死すると,アテナイでは反マケドニアの機運が高まり,マケドニア側の人物と見られたアリストテレスは不敬神のかどで訴えられ,母の出身地のカルキスにのがれて翌年その地で病没した。
[著作]
今日〈アリストテレス著作集〉として伝わるものは,前1世紀,それまで世に埋もれていた彼の講義用論文を,ロドス島出身の学者アンドロニコスAndronikosが,アリストテレス自身の学問の区別(理論的,実践的,製作的)に基づいて主題別に編集したものがもとになっている。彼の哲学を完結した体系として扱う後世の研究態度はここに由来する。…
【ペリパトス学派】より
…プラトンが遊歩しながら講義した習慣に由来する名で,本来アカデメイア出身のアリストテレスらを指したが,以後はもっぱらアリストテレス創立のリュケイオン校の人々を総称する呼名となった。2代目学頭テオフラストス,3代目ストラトンのもとでとくに自然学研究が継承・推進され,しだいに創立者の教説から遠ざかって即物的傾向を強めていくが,前70年ころの学頭アンドロニコスAndronikos以来アリストテレス研究も復活する。【藤沢 令夫】。…
※「Andronikos」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」