AskiyāIsḥāqII(その他表記)AskiyaIshaqII

世界大百科事典(旧版)内のAskiyāIsḥāqIIの言及

【ソンガイ帝国】より

…かくて,西アフリカ内陸の広大な地域に,〈ソンガイの平和〉が確立されたが,1580年代になってからは,疫病,干ばつ,洪水などの災厄が相次ぎ,モハメド大帝から7代後のモハメド4世(在位1586‐88)の時代には内乱も生じた。そして,次のアスキア・イスハーク2世Askiyā Isḥāq II(在位1588‐91)の時,かねてサハラとその南の黒人の国に野心を抱いていたサード朝モロッコのマンスール王が送った遠征軍の攻撃を受け,91年,帝国は崩壊した。火打石銃を装備したモロッコ軍は,それまで火器を知らなかったソンガイの大騎馬軍を潰走させたが,これがサハラ以南のアフリカ社会に鉄砲がもたらされた最初だった。…

※「AskiyāIsḥāqII」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む