世界大百科事典(旧版)内のbābの言及
【バーブ教】より
…シーラーズに生まれた彼は,ペルシア湾岸の港町で商売に従事したが,まもなくやめてシーア派の聖地カルバラーへ巡礼に行き,同地で神学者カージム・ラシュティーの弟子になり,シャイヒー派の教理を学んだ。師は死ぬ前にシーア派の隠れイマーム(マフディー)の再臨を予言し,1844年,イランの混乱した政治・社会情勢および民衆のマフディー再臨を熱望する宗教的状態を背景に,セイエド・アリー・モハンマドは自らを〈バーブbāb〉(アラビア語で〈門〉の意)と宣言した。彼は腐敗した聖職者を非難するとともに,シーア派の改革や両性の平等,政治・社会の再編成の必要を説き,とくに農民や中小商人の間にマフディーの出現として受け入れられ,その勢力は全国に急速に広まった。…
※「bāb」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」