世界大百科事典(旧版)内のBenczúrG.の言及
【ハンガリー】より
… 19世紀半ばの民族主義の動きのなかで,画家は自国の風物や歴史を描きはじめた。その代表として,ミュンヘンのピロティK.von Pilotyに学び歴史画の大作群を残したベンツールBenczúr Gyula(1844‐1920),パリで同時代の新しい技法を試みたが,民族固有の表現を求めたセーケイやムンカーチ,バルビゾン派に傾倒したパールPaál László(1846‐79),分割された色の輝きを精緻に画面に固定し印象派になぞらえられるシニェイ・メルシェSzinyei‐Merse Pál (1845‐1920)らが挙げられる。彼らの活躍に続いて,1896年以来トランシルバニア北部のナジバーニャNagybánya(現バイア・マーレBaia‐Mare)などに芸術家コロニーが形成され,後期印象派や象徴派,フォービスムや表現主義に至る諸相をみせた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」