世界大百科事典(旧版)内のBiskupinの言及
【ポーランド】より
…青銅器時代の遺跡になるとさらにその数は増え,遺跡が最初に発見された場所の名前をとってウネティチェ(ウニェチツェ)文化(前1800‐前1400),チュチニェツTrzciniec文化(前1500‐前100),ラウジッツ文化(前1300‐前400)などと総称されている。有名なビスクピンBiskupinの遺跡はラウジッツ文化に属し,湖底で発見された住居跡は,当時の生活のようすをよく伝えている。ほぼ現在のポーランド全域を覆う形で発展を遂げたラウジッツ文化は,前400年ころ突如として消滅するが,これは鉄器をもったスキタイ人に滅ぼされたものと考えられている。…
【ポーランド美術】より
…ポーランドの地には,ビスクーピンBiskupinに前500年前後と考えられる杭上住居の集落址があり,木の敷き道や住居が残り,また紀元後には,ボリンWolinなどで発見されている単純な木彫の神像があるが,本格的な建築,芸術活動はキリスト教受容以降のことである。すでに9世紀よりクラクフを中心として南部に,ロトンダ形式の教会堂(クラクフのバベルWawel城内の聖マリア教会など)が建てられ,モラビアよりのキリスト教伝道を示す。…
※「Biskupin」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」