改訂新版 世界大百科事典 「ポーランド美術」の意味・わかりやすい解説
ポーランド美術 (ポーランドびじゅつ)
ポーランドの地には,ビスクーピンBiskupinに前500年前後と考えられる杭上住居の集落址があり,木の敷き道や住居が残り,また紀元後には,ボリンWolinなどで発見されている単純な木彫の神像があるが,本格的な建築,芸術活動はキリスト教受容以降のことである。すでに9世紀よりクラクフを中心として南部に,ロトンダ形式の教会堂(クラクフのバベルWawel城内の聖マリア教会など)が建てられ,モラビアよりのキリスト教伝道を示す。グニェズノを本拠とするミエシュコ1世が,966年キリスト教に改宗した後ポーランドを統一し,ドイツとの結びつきが強まると,しだいに建築も,ライン川流域やザクセンのドイツ・ロマネスクの様式に倣って,各地に建てられるようになった。たとえば,ウェンチッツァŁęczyca近郊トゥムTumの教会堂が,12世紀当初の姿をよく保っている。彫刻や絵画も同様で,グニェズノ大聖堂の青銅扉にみられる,ボイチェフ(アダルベルト)の生涯を18面に描いた浮彫は,ムーズ川流域の作風に近く,12世紀前半の作品と考えられている。14世紀,カジミエシュ3世時代に国政は安定し,ドイツ経由のゴシック様式で多くの城や教会堂が建てられた。ドイツ騎士修道会も北部に,マルボルクの城塞(14世紀)や,グダンスクのマリア教会(15世紀)などのゴシック建築を残している。また,ボヘミアの国際ゴシック様式の影響がブロツワフを中心に及び,優美な《美しき聖母子》の彫像がみられ,ハンガリーを通じては,今日でもポーランド国民の巡礼の対象となっているチェンストホバの《黒い聖母子像》と呼ばれる板絵が,14世紀にイタリアよりもたらされている。1468年にクラクフの画家ハーベルシュラックMikołaj Haberschrack(生没年不詳)が描いた祭壇画は,いまだ国際ゴシック様式の影響下にあるが,ネーデルラント絵画の新しい成果をふまえており,77年にはニュルンベルクからV.シュトースがクラクフに赴き96年まで滞在して,マリア教会に多翼の彫刻付祭壇の大作を制作し,なまなましい個性表現が同地に影響を残した。一方,当時ロシアの西部を併せていたリトアニアのヤギエウォ朝の諸王は,東方との接触を保っていた。ブワディスワフ2世ヤギエウォは1418年ルブリンの王宮礼拝堂その他に,またカジミエシュ4世も1470年プスコフの画家に依頼してクラクフのバベル城内大聖堂の礼拝堂にビザンティン・ロシア様式のフレスコ画を描かせている。
16世紀はじめ,若き日にハンガリーの宮廷でマーチャーシュ1世以来のイタリア・ルネサンスの成果に接したジグムント1世父王は,ハンガリーで制作していたフィレンツェの芸術家たちをクラクフに呼び,バベル城の王宮をルネサンス様式で再建させ,大聖堂内に,東欧における現存するルネサンスの最高傑作であるジグムント礼拝堂を作らせた。それらはポーランドのルネサンスの嚆矢(こうし)であり,貴族や高位聖職者によって模倣された。バロック建築はイエズス会により16世紀末にもたらされて以来,直接ローマやドレスデンの建築を手本に各地に建てられた。しかし同時に,1569年リトアニアを併合し(ルブリン合同),東方にひろがる大国となり,トルコやイランの文物が流入する。みずからの出自を勇敢なサルマティア人と考え,それを誇る貴族たちは,東方の文物に倣って西欧の影響をかえりみず,プリミティブなものを好む,いわゆる〈サルマティア趣味〉が,とくにアジア風の衣装や武具,細部に念入りで,微妙な表情を欠いた肖像画などにみられた。1700年前後,ことにヤン・ソビエスキの時代(1629-96)に高まったこの傾向は,貴族の誇り高い保守的な性格とともに生産的なものとはみなされていないが,きわめて興味ぶかい現象である。
18世紀後半,フランスの啓蒙思想を身につけたスタニスワフ・アウグストにより,B.ベロットらイタリアやフランスの芸術家がワルシャワに招かれ,ワジェンキŁazienki宮殿などが,新古典主義風に改築された。フランスのロマン主義,ことにJ.L.T.ジェリコーに連なる画家ミハウォフスキPiotr Michałowski(1800-55)は農夫の表情や馬を勢いある新鮮な筆致で描いた。その後,ワルシャワではフランスのバルビゾン派を学んだ風景画家を生みだし,一方クラクフではA.グロットガーやJ.マテイコらにウィーンやミュンヘンの歴史画家の系譜がみられ,その延長線上に,19世紀末,表現力のある線描を特徴とするパステル画を残したビスピャンスキや幻と現実の交錯を描く象徴派のマルチェフスキJacek Malczewski(1854-1929)らの〈若きポーランド〉と呼ばれる運動が起こった。
執筆者:鐸木 道剛
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