世界大百科事典(旧版)内のBonifácio,J.の言及
【ペドロ[2世]】より
…1831年父が退位したとき5歳であったため,皇帝の承認のみを受けて〈調整府〉の長となり,国は摂政期に入る。ブラジル独立の実質的推進者で自由主義的な民族主義者ジョゼ・ボニファシオJosé Bonifácio(1763‐1838)らがこの幼帝の道徳的・知的教育を担当した。父皇帝と異なりブラジルに生まれ育ったうえに,聡明で温厚かつ控え目な性格であったため,帝国の統治者にふさわしい人物であるとして国民から成人宣言を待望されていた。…
※「Bonifácio,J.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」