世界大百科事典(旧版)内のBotta,P.E.の言及
【アッシリア学】より
…このような広範で多彩な学問領域がアッシリア学の名で包括されるのは,メソポタミアの発掘で最初に知られるようになったのが,アッシリアの遺跡とアッシリア語であったことに起因する。 初期の発掘はイラクのモースル周辺のアッシリアの遺跡を中心に行われ,1842年にはフランスのボッタP.E.Bottaがニネベ,コルサバードの発掘を開始し,45年にはイギリスのレヤードがニムルドで考古学的調査を開始している。この時期の発掘は古代遺物の探索が主要な目的であって,近代的技術を用いた科学的発掘は20世紀に入ってバビロンにおけるコルデワイR.Koldewey,アッシュールにおけるアンドレーW.Andraeらにまたなければならないが,ニネベにおけるアッシュールバニパル王の書庫の発見は,それ以後の文献学的研究の基礎となる特記すべき事件であった。…
【ニネベ】より
…王城跡はクユンジュクQuyunjuqと呼ばれている。フランス領事ボッタP.E.Bottaが1842年に発掘を始め,イギリスのA.H.レヤードが加わって,ここがニネベの廃墟とわかると,イギリス,フランスの凄まじい発掘競争が展開された。その結果,イギリスが発掘を継続して,彫像品ばかりでなく大量の楔形文字の粘土板を発掘し,アッシリア学の基礎資料となった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」