世界大百科事典(旧版)内のBoudiccaの言及
【イケニ族】より
…カエサルのブリタニア遠征以後ローマ文化との接触が始まり,近隣部族との衝突に際してはクラウディウス帝と和議を結んでローマの保護王国となった。60年ころ最後の女王ボウディッカBoudiccaはローマの財政的圧迫に対して反乱を起こしたが鎮圧された。その後いくらか都市集落が形成された。…
【ネロ】より
…治政はしだいに破綻を生じ,財政は乱脈となり,通貨の悪鋳によって物価は高騰した。しかし帝国全体の治安はなおおおむね良好で,ブリタニアにおけるイケニ族の女王ボアディケアBoadicea(ブディッカBoudicca)を首領とする反乱(60‐62)は鎮定され,アルメニアをめぐるパルティアとの長年の紛争も,将軍コルブロの適切な処理により,64年ローマの宗主権が承認されるところとなった。 他方ネロはギリシア文化に心酔し,ギリシアの体育・芸術のコンクールをローマに導入し,自ら詩を作って側近の賞讃を求め,64年ナポリで歌手として竪琴を手にして劇場の舞台に立った。…
【ローマ】より
…ネロはその治世の初めは哲学者セネカや親衛隊長ブルスの指導の下に善政を敷いたが,やがて独裁的となり,ガリアでのウィンデクス,スペインでのガルバら,将軍の反乱のなかで自殺した。この間,ブリタニアではボウディッカBoudicca王の反乱があり,第1次ユダヤ戦争下(66‐70)の大反乱があった。
[第2期(69‐192)]
ウィンデクスとガルバに続いてオトー,ウィテリウスがそれぞれ軍隊によって皇帝に擁立されて,69年は〈四帝年〉となった。…
※「Boudicca」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」