Brîncoveanu,C.(その他表記)BrincoveanuC

世界大百科事典(旧版)内のBrîncoveanu,C.の言及

【ワラキア】より

…17世紀からオーストリアとロシアの南進政策が顕著になると,ワラキア公のなかにも両国のいずれかの援助を期待してオスマン帝国からの離脱を画策する者も出たが,みな失敗に終わった。コンスタンティン・ブルンコベヤヌConstantin Brîncoveanu公(在位1688‐1714)は文化・教育の保護者として知られ,1702年にはブカレスト郊外にモゴショアヤ宮殿を建て,いわゆるブルンコベヤヌ様式を後世に残したが,ロシアと同盟しようとしたため,ライバルの大貴族カンタクジノによって密告され,イスタンブールへ呼ばれて処刑された。オスマン帝国政府は16年ニコラエ・マブロコルダトをワラキア公に任命したが,これは政府に忠実なギリシア出身のファナリオットという階層から公を起用して支配を強固にするためであった。…

※「Brîncoveanu,C.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

ドンド焼き,サイト焼き,ホッケンギョウなどともいう。正月に行われる火祭の行事で,道祖神の祭りとしている土地が多い。一般に小正月を中心に 14日夜ないし 15日朝に行われている。日本では正月は盆と同様魂...

左義長の用語解説を読む