世界大百科事典(旧版)内のBraun,Ottoの言及
【プロイセン】より
… ワイマール共和国のもとでは,プロイセンも他の諸邦と対等の地位に置かれ,プロイセン首相とドイツ首相とは分離された。そして,民主的な議会政治が実現されたプロイセンでは,大戦前とは逆に左派の勢力が進出し,1920年から33年まで,社会民主党のブラウンOtto Braun(1872‐1955)が首相の地位を占めた。しかしナチスの勢力拡大によってプロイセンのこうした新時代も短命に終わり,ヒトラーの政権掌握とともにベルリンはナチス・ドイツの首都となった。…
※「Braun,Otto」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」