世界大百科事典(旧版)内のBucarelliyUrsúa,A.M.の言及
【副王制】より
…300年間インディアスを統治した副王の大半は勤勉かつ有能,忠実かつ従順な人々で,わずかな例外を除くと,おしなべて君主に反旗をひるがえすことなく王室の政策を忠実に遂行した。とりわけ偉大な副王と評価されたのは,ヌエバ・エスパニャではメンドサ,ベラスコのほか,ブカレリAntonio María Bucarelli y Ursúa(在任1771‐79)とレビヤヒヘド伯グエメス・パチェコ・デ・パディリャJuan Vicente Güemes Pacheco de Padilla(在任1789‐94),ペルーではトレド,レモス伯フェルナンデス・デ・カストロPedro Antonio Fernández de Castro(在任1667‐72),アマトである。しかし,イスパノアメリカ側に立つと,政治行政の一端となる固有の権限をもった司法権,立法権,行政権が三権分立という形ではなく,副王のみならずアウディエンシアによっても同時に行使された結果,独立以後,権力の分立という近代国家機構の基本的前提がなかなか定着しないという弊害をもたらした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」