世界大百科事典(旧版)内のCabot,S.の言及
【カボット】より
…航海者,地図製作者。イタリア名ジョバンニ・カボートGiovanni Caboto。ジェノバに生まれ,ベネチアに帰化。レバント貿易にたずさわったのちスペインに滞在,東洋に達するに西方航路の可能性を説く。志を得ず1494年イギリスの港ブリストルに現れ,97年ヘンリー7世の勅許を得て西航,北アメリカ東海岸に達する。のちイギリスは,これを根拠にこの地方の主権を主張した。翌年遭難。息子セバスティアン・カボットSebastian Cabot(1474‐1557)も1508‐09年ハドソン湾からフロリダに至る一帯を探検。…
【北極】より
…たとえば17世紀末には天文学者E.ハリーが北極には巨大な穴があいており,地球内部の光がオーロラ現象を生むとする地球空洞説を提示している。 北西航路の探査はイギリス王の命を受けたイタリア人カボットSebastian Cabot(1474‐1557)のニューファンドランドからラブラドル方面への1497年の航海に始まる。彼は後年商業冒険家会社の初代会長になった。…
※「Cabot,S.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」