Carolus-Duran,E.A.(その他表記)CarolusDuranEA

世界大百科事典(旧版)内のCarolus-Duran,E.A.の言及

【藤島武二】より

…初期の白馬会展には外光派風の作品を発表したが,1901年《明星》の表紙を担当した時期から浪漫的内容と装飾性をもつ画風によって高揚期を迎え,初期の代表作《天平の面影》(1902),《蝶》(1904)などを生んだ。 やがて06年文部省留学生として渡欧,黒田の紹介したR.コランを訪ねず,パリではフェルナン・コルモンF.Cormon,08年からはローマでカロリュス・デュランE.A.Carolus‐Duranの薫陶を受け,留学期後半に《チョチャラ》《黒扇》《ヴィラ・デステの池》など,油彩画の本格的技術を体得した傑作を制作した。10年に帰国後美術学校教授となり,13年からは川端絵画研究所洋画部でも教鞭をとる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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