世界大百科事典(旧版)内のCaron,A.の言及
【フォンテンブロー派】より
…40年にロッソが急死した頃から,アカデミックな古典主義への傾向が芽生える中で,フォンテンブロー派の強い影響下に,彫刻家グージョン,肖像画家クルーエ,建築家デュ・セルソーなどフランス人の活躍も開始される。プリマティッチョの下で制作に従事していたカロンAntoine Caron(1520ころ‐1600ころ)は,後に宗教戦争の虐殺の場面と祭礼の行列とを同様な明るい色調で描き出した。 第2次フォンテンブロー派は,デュブルイユToussaint Dubreuil(1561‐1602),デュボアAmbroise Dubois(1543‐1614),フレミネMartin Fréminet(1567‐1619)の3人に代表される画家たちが活動し,やはり宮殿の装飾を手がける。…
【マニエリスム】より
…1559‐1613)などの,リアリズム的傾向と宗教性の強い〈改革派〉マニエリストが活躍した。また,フランスではJ.deベランジュやカロンAntoine Caron(1520ころ‐1600ころ)などがマニエリスム的芸術を創造し,ブーエ,N.プッサンらの出現まで活躍を続けた。フランドルではP.ブリューゲル(父)の次男ヤンが細密なリアリズムによりマニエリスムとバロックの中間の地位を占める。…
※「Caron,A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」