世界大百科事典(旧版)内のCerton,P.の言及
【シャンソン】より
…ジョスカン・デ・プレら盛期フランドル楽派においてはさらに,全声部が同じリズムで進行するホモフォニックな部分が適宜挿入され,ポリフォニックな部分との対比づけや楽節区分の明確化を図る手法も目だってきた。 16世紀中葉に向かい,それまでフランドル楽派のいわば国際的様式の中にあったシャンソンは,C.ジャヌカン,セルミジClaudin de Sermisy(1495ころ‐1562),セルトンPierre Certon(?‐1572)ら生粋のフランス人作曲家を中心とするパリ楽派の興隆とともに真にフランス的性格をもつものへと変容し,ここに多声部シャンソンの黄金期が築かれた。今日も広く愛唱されているセルミジの《花咲く齢にある限りTant que vivray》に見られるとおり,4声部で,歌詞の1音節に1音ずつをあてはめる音節作法を軸に,全体はフランス語の語感を生かした軽妙な音の運びが際だつ。…
【フランス音楽】より
…新興の市民階級は音楽の世俗的傾向を促進し,そこには新しいルネサンスの精神が反映されている。ジャヌカン,セルトンPierre Certon(?‐1572),セルミジClaudin de Sermisy(1495ころ‐1562),グディメルClaude Goudimel(1514ころ‐72)らのシャンソン,マドリガルは,フランドル人の巧妙・博識を捨てて,もっと民衆的な直截さに立ち帰っている。言葉に属する要素が音楽を微妙に左右したり,あるいは描写的・擬音的な表現で耳を楽しませたりする。…
※「Certon,P.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」