世界大百科事典(旧版)内のCesti,A.の言及
【ベネチア楽派】より
… 1600年前後のベネチア楽派の様式は,ドイツの音楽家プレトリウスHieronymus Praetorius(1560‐1629),A.ガブリエリの弟子ハスラーHans Leo Hassler(1564‐1612),シュッツらによってドイツにも広められた。 ベネチア楽派の呼称は,ときに,17世紀のベネチア・オペラの代表的な作曲家たち(カバリFrancesco Cavalli(1602‐76),チェスティAntonio Cesti(1623‐69)ら),18世紀前半のコンチェルトの代表的な作曲家たち(アルビノーニ,B.マルチェロ,ビバルディら)に対して用いられることもある。カバリやチェスティらは,晩年のモンテベルディのベネチアの劇場におけるオペラを継承しながらも,オペラが宮廷から劇場に場を変えたことに対応して,劇よりも音楽を重んじる方向に傾いて名歌手を表に出すと同時に,機械じかけを行使して人々の目を楽しませる舞台作りなどにも力を入れることになっていった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」