《Chantdeguerrepourl'arméeduRhin》(その他表記)ChantdeguerrepourlarmeeduRhin

世界大百科事典(旧版)内の《Chantdeguerrepourl'arméeduRhin》の言及

【ラ・マルセイエーズ】より

…歌詞は子ども用の1節を含め全7節。もとは北方ライン軍団のための進軍歌として1792年4月26日夜に作曲,ストラスブール市長宅で初めて歌われ,《ライン軍に寄せる闘いの歌Chant de guerre pour l’armée du Rhin》のタイトルで同地で出版されてあったもの。第二帝政期(1852‐70)には革命色を薄めようとの狙いから,ナポレオン3世の母ウジェーヌ・オルタンスが作曲に手をかしたとも伝えられる歌《シリアへの出発Partons pour la Syrie》が一時国歌として登用されたが,ナポレオン3世失権と同時にこの《ラ・マルセイエーズ》が復し,現在に至る。…

※「《Chantdeguerrepourl'arméeduRhin》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む