Chapaev,V.I.(その他表記)ChapaevVI

世界大百科事典(旧版)内のChapaev,V.I.の言及

【ロシア革命】より

…4月にはカザン,サマラに80kmの地点まで進出する。このとき北西部では,エストニアからロジャンコの軍がペトログラードを目ざして侵攻し,挟撃の形をとったのだが,赤軍はがんばりぬき,ついに6月9日チャパーエフVasilii I.Chapaev(1887‐1919)の軍はウファを奪還し,コルチャーク軍を押しもどした。すでにシベリアではコルチャーク軍と日本軍に対して,農民パルチザンが立ち上がっていた。…

※「Chapaev,V.I.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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