世界大百科事典(旧版)内のChoirokoitíaの言及
【キプロス】より
…これに対するトルコ系住民による反エノシス運動と時の中東国際情勢がからんで事態は紛糾を極めたが,59年2月イギリス,ギリシア,トルコ3国と住民代表の間に,独立に関するチューリヒ・ロンドン協定が成立し,大統領選挙(大主教マカリオス3世が当選),国会選挙を経て60年8月16日キプロスは正式に共和国として独立を宣言するにいたった。キプロス問題【真下 とも子】【村田 奈々子】
[遺跡,文化]
新石器時代後期の遺跡には,南岸のリマソル西方のコイロコイティアChoirokoitíaに,キプロス最古の農耕集落址(前5800‐前4900)があり,石を用いた円形住居や石製の容器や武器が発見されている。特に墓域をつくらず,死者を住居の床下に埋葬する習慣はこの時代の特徴である。…
※「Choirokoitía」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」