Coțofeneşti-Prahova(その他表記)CotofenestiPrahova

世界大百科事典(旧版)内のCoțofeneşti-Prahovaの言及

【ルーマニア】より

…北東部のククテニCucuteni出土の新石器時代の彩文土器において既に,その曲線文様は,クレタ島やエーゲ海の文化との結びつきを示し,前7~前6世紀に黒海沿岸に建設されたイストロスIstrosやトミスTomis(現コンスタンツァ)などのギリシア植民市は,ローマ時代またビザンティン時代においても栄え,古典古代文化の拠点であった。一方,ダキア人やゲタイ人の作品と考えられるコツォフェネシュティ・プラホバCoțofeneşti-PrahovaやハジギオルHadjighiol出土の前5~前4世紀の金・銀の武具など(ともにブカレスト歴史博物館蔵)は,地中海文化の影響を受けつつも,プリミティブな力強さをみせる。
[紀元ころから14世紀まで]
2世紀初頭,この地はトラヤヌス帝によって征服され,ダキアとしてローマの属州となり,多くの都市が各地に建設された。…

※「Coțofeneşti-Prahova」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む