世界大百科事典(旧版)内のDaniilRomanovichの言及
【ガーリチ・ボルイニ公国】より
…しかし重要な河川および陸路交通の要衝でもあったため貿易を有利に展開することが可能であった。ロマンの死後国内では貴族が勢力を振るい,またハンガリー,ポーランドの介入を受けたが,ロマンの子ダニイルDaniil Romanovich(1201‐64)により再建され,新たな経済的・政治的高揚期を迎えた。しかし,タタール人の侵入に直面し,ダニイルはローマ教皇をも巻き込んで対抗したが,結局キプチャク・ハーン国の勢力圏に組み込まれる。…
※「DaniilRomanovich」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」