世界大百科事典(旧版)内のDeclarationofRightsの言及
【権利章典】より
…1688年12月,国王ジェームズ2世が国外に逃亡したあとをうけて,翌年1月召集された仮議会は,王国の状況を説明するための決議を行い,さらにオラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)に改革要求を提出することにし,〈古来の自由と権利を擁護し,主張するため〉の宣言を行った。これが〈権利宣言Declaration of Rights〉であり,オラニエ公ウィレムと妃のメアリーはこれに署名して共同統治者として即位し,ここに名誉革命が成就した。この〈権利宣言〉にもとづき,同年12月に制定されたのが〈権利章典〉である。…
【名誉革命】より
… 89年1月に開会された仮議会では,この事態をいかに説明するかをめぐってトーリー,ホイッグ両党間で意見の対立がみられ,妥協案としてイギリス人の〈古来の権利と自由〉を宣言することになった。これが〈権利宣言Declaration of Rights〉であって,89年2月,オラニエ公とメアリーはこれを承認し,共同統治者(ウィリアム3世ならびにメアリー2世)として王位につき,ここに名誉革命がなった。仮議会は正式の議会となり,先の〈権利宣言〉を〈臣民の権利および自由を宣言し,王位継承を定める法〉,通称〈権利章典〉として制定。…
※「DeclarationofRights」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」