世界大百科事典(旧版)内のDemokratPartiの言及
【トルコ共和国】より
…第2次大戦後,民主主義の世界的風潮の中で,1946年以降複数政党制に移行した。46年の総選挙では共和人民党がかろうじて第一党の地位と政権とを保ったが,50年の総選挙では,自由主義的政策を掲げた民主党Demokrat Parti(共和人民党反主流派により1946年に創設)が大勝し,以後60年5月までの10年間バヤル(第3代大統領,祖国解放運動の闘士)とメンデレス(首相,西アナトリアの地主出身)とによる民主党政権が続いた。民主党は,豊作による農業生産の向上,朝鮮戦争による国外需要の増加,マーシャル・プランにもとづく経済援助による潤沢な資金などを基礎として,農業の近代化,工業の発展,電力や道路など社会資本の拡充などの大規模な経済開発政策を推進したが,50年代以後,財政難,貿易収支の赤字による外貨不足,インフレ,社会発展の不均衡,政府首脳の腐敗などが表面化した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」