世界大百科事典(旧版)内のDevotiomodernaの言及
【修道院】より
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[近代における修道理念]
中世末から近代にかけて修道精神は激変のうちに転生する。トマス・ア・ケンピスのいたアグネテンベルク修道院と同様,フローテの創設した〈共同生活兄弟会〉に属した約50の修道院は,ネーデルラントとドイツに〈新しい信仰Devotio moderna〉と呼ばれる敬虔主義的運動を民衆の間にも広めるし,イタリアでは,従来の観想修道院が托鉢修道会の組織を採り入れた〈修族congregatio monastica〉という新しい修道組織によって新生する。15世紀から16世紀にかけてイタリアにはたくさんの兄弟会が結成され,そのなかから1524年にはテアティノ修道会が生まれ,その4年後にはフランシスコ会の改革を目ざしたカプチン会も創設された。…
【福音主義】より
…16世紀初頭の西ヨーロッパにおいて,宗教改革に先立ちカトリック教会の組織内でその浄化を図り信仰を刷新しようと試みた運動,またその根底にある考え方。すでに中世以来キリスト中心の生き生きとした内面的信仰を復活させようとする〈新しき信心Devotio moderna〉の運動がネーデルラントから北フランスにかけて広まったが,その影響下に育ち,人文主義的方法をも身につけたエラスムスやルフェーブル・デタープルは,従来教会が顧みなかった聖書のヘブライ語・ギリシア語原典や古代教父文学の再検討を通じて,新しいキリスト信仰のあり方を求めようとした。前者の《キリスト教兵士提要》(1504)や《校訂ギリシア語新約聖書》(1516),後者の《旧約詩篇校合》(1509)や《校注聖パウロ書簡》(1512)などはその成果であり,当時多くの人の胸に宿った〈いかに信ずべきか〉という問いに答えるものだった。…
【ロイスブルーク】より
…キリストの花嫁となる神との合一の道を説き,《霊の婚礼の飾り》などにみられる大胆で感性的な表現は多くの誤解を生んだが,それはまたギリシア教父の伝統を受け継ぐものであった。エックハルトとタウラー,フローテの中間にあって〈デウォティオ・モデルナDevotio moderna〉(〈新しき信心〉の意)の運動に大きな影響を与えた。【南原 実】。…
※「Devotiomoderna」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」