世界大百科事典(旧版)内のDezhnyov,S.I.の言及
【デジニョフ[岬]】より
…最高点741mの岬が急傾斜で海に落ちる荒々しい風景をみせる。1648年にチュコート半島沿岸一帯を航行したデジニョフSemyon Ivanovich Dezhnyovを記念して,1879年に命名された。日本ではしばしば〈デジネフ岬〉と呼ばれる。…
【ベーリング海峡】より
…海峡中央部にダイオミード諸島Diomede Islandsがあり,西の大ディオミード島(ラトマノフ島Ostrov Ratmanovaともいい,面積10km2)はロシア領,東の小ダイオミード島はアメリカ合衆国領である。この海峡を通過した記録としては,1648年のデジニョフS.I.DezhnyovとアレクセーエフF.Alekseevのものが最も早く,V.ベーリングの探検隊が1728年,海峡であることを確認した。現在では海峡の中央に日付変更線が設定されており,その東岸と西岸では日々,日付まで異なる朝を迎えているが,両者の距離はまさに〈手の届くほど〉のもので,氷河時代には陸続きであった。…
【北極】より
…17世紀に入るとロシア人の北極海沿岸の探査が活発となった。1648年にデジニョフSemyon Dezhnyovはコリマ河口から船でアジアの東端を回りアナディル湾に入り,大西洋と太平洋が北極海を経て続いていることを示した。18世紀に入りピョートル1世は北極大遠征という国家事業を計画した。…
※「Dezhnyov,S.I.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」