世界大百科事典(旧版)内のdihqānの言及
【ササン朝】より
…ゾロアスター国教会の成立は,貴族に対抗する新しい勢力の出現を意味した。ササン朝後半にディフカーンdihqān(村の領主)と呼ばれる小貴族層が成長し,ホスロー1世の改革はディフカーンを官僚,軍隊に取り入れることによって中央集権の強化に成功した。社会は祭司,戦士(貴族),書記(官僚),平民の4階級に分かれ,支配階級に属する上の3者には免税の特権が与えられていた。…
【村】より
…アラブの征服軍は支配下の農村社会には手をつけず,租税(ハラージュ,ジズヤなど)の徴収だけを唯一の目的にしていたからである。初期イスラム時代には,コプトの村長であるエジプトのマーズートmāzūtやイラク・イランの在地土豪であるディフカーンdihqānが,在地の有力者として租税の割当てやその徴収に責任を負っていた。しかし8世紀ころからアラブが地主となってむらに定着し,また官僚的な徴税機構が整うようになると,これらの村長はしだいに地方名士としての地位を喪失し,代わってシャイフと呼ばれるアラブの村長がむら社会をとりしきるようになった。…
※「dihqān」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」