世界大百科事典(旧版)内のDovzhenko,A.P.の言及
【ソビエト映画】より
…監督であり映画理論家でもあるクレショフL.V.Kuleshov(1899‐1970)とともにプドフキンとエイゼンシテインは,D.W.グリフィスやチャップリンをはじめ,アメリカ映画の技術や手法を分析した結果を〈唯物弁証法〉的に理論化してモンタージュ理論を提唱した。サイレント映画史を飾るエイゼンシテイン監督《戦艦ポチョムキン》(1925),プドフキン監督《母》(1926)がつくられ,エイゼンシテインの革命10周年記念映画《十月》(1928),プドフキンの《アジアの嵐》(1928)が続き,さらに社会主義的建設を啓蒙宣伝するエイゼンシテイン監督《全線(古きものと新しきもの)》(1929),ウクライナのドブジェンコA.P.Dovzhenko(1894‐1956)監督の農業集団化を描いた《大地》(1930)などの作品がつくられた。 28年,ソビエトではまだ1本のトーキーもつくられていなかったが,エイゼンシテイン,プドフキン,アレクサンドロフG.V.Aleksandrov(1903‐83)の3人の監督が連名で〈トーキーに関する宣言〉を発表して,映像と音のモンタージュ,その対位法的処理が新しいトーキー芸術の道であると唱えた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」