世界大百科事典(旧版)内のDreyer,E.の言及
【スト権奪還闘争】より
…これに対して総評は1957年5月,弾圧反対臨時大会を開催し,また60年10月スト権奪還特別委員会を組織し,(1)国際自由労連(ICFTU),国際産業別労働組合(ITS)と連絡をとったILO闘争,(2)法律改正のための対政府・国会闘争,(3)総評弁護団を中心とする法廷闘争を展開することになった。 (1)のハイライトは64年,ILOが初めて〈結社の自由に関する事実調査調停委員会〉(ドライヤーErik Dreyer委員長)を設置し,ジュネーブおよび日本で証人喚問を行い,65年1月ILO87号条約(結社の自由及び団結権の保護に関する条約)批准と政・労・使のトップの定期的会談を提案し,続いて同年7月報告書を作成し,争議行為の全面一律禁止には問題があるとし,争議行為禁止の代償措置のあり方の不備を含む日本の公共部門の労使関係についての包括的で詳細な事実認定と勧告を行ったことである。 (2)についていえば,こうした経緯のなかで,政府から87号条約と国内法との関係について依頼を受けた労働問題懇談会が1959年2月,87号条約批准と公労法4条3項,地公労法5条3項の廃止を答申したが,争議権についてはふれなかった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」