世界大百科事典(旧版)内のEberhardIIの言及
【ザルツブルク[州]】より
…叙任権闘争期に大司教ゲープハルト,コンラート1世は教皇派の重鎮であった。次いで皇帝派エーバーハルト2世Eberhard II(在位1200‐40)は,領地の交換・買戻し,森林開拓により密度の高い支配領域を創出し,〈領邦(ラント)ザルツブルクの父〉と称される。東方進出の夢は,1278年オーストリアへのハプスブルク家の転進によって阻まれ,96年ウィーン和約の成立後は一貫してオーストリア大公に荷担し,他方バイエルンとは14世紀を通じて衝突を繰り返した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」