世界大百科事典(旧版)内のEcevit,B.の言及
【トルコ共和国】より
…こうした政局に対してデミレル政権は事態収拾能力を欠いたため,71年3月12日,軍部はデミレル退陣を要求する最後通牒をスナイCevdet Sunay大統領(旧軍人)に送り(〈書翰によるクーデタ〉),穏健な改革派エリムNihat Erim(元イスタンブール大学教授)に組閣させた。それにもかかわらず,70年代を通じてトルコの政局は,10年間に13回も政権が交代するなど定まらず,この間デミレルの公正党と,イノニュに代わる若い党首エジェウィトBülent Ecevit(元ジャーナリスト)の共和人民党とが拮抗状態を保ったため,民族主義者行動党と国家救済党(国家秩序党の後継党。党首エルバカン)とがキャスティング・ボートを握って重要な役割を果たした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」