世界大百科事典(旧版)内のEduc-Internの言及
【教職員組合】より
… 今日ではほとんどすべての国で教職員組合あるいはそれに代わる教員団体が組織されているが,その社会的役割,法制上の地位,全国組織の性質,全労働者組織との関係,政治的立場など,社会体制により,国により,さらに同一国内でもきわめて多様である。 国際的には,ロシア革命後の全世界的な労働運動の高まりのなかで組織された教育労働者インターナショナルEducational Workers International(略称,エドキンテルンEduc‐Intern,1922結成)が,ヨーロッパおよび中南米諸国,日本の運動に影響を与えたほか,国際労働組合連盟の教員インターとして組織された国際教員組合書記局の活動がヨーロッパ各国に影響を与えた。第2次大戦後,それぞれ世界教員組合連盟Fédération Internationale Syndicale de l’Enseignement(FISE,1946結成),国際自由教員組合連盟International Federation of Free Teachers Union(IFFTU,1951結成)となり,前者は世界労連系,後者は国際自由労連系として活動してきた。…
【プロレタリア教育運動】より
…しかし,学校は支配階級の〈観念工場〉〈労働力養成工場〉であるとの批判が高まり,ここから人間の全面発達の教育を要求して教育労働者への呼びかけが始まる。1924年こうした立場から教育労働者インターナショナルEducation Worker’s International(略称,エドキンテルンEduc‐Intern)は,ブリュッセル大会で規約を制定し,〈資本主義によって奴隷化された学校を解放し,人類共同の全所有物のための教養労働所に変転すること〉,教育者の闘争は〈学校における資本主義イデオロギーの力,主として戦争の偏狭愛国主義的帝国主義的讃美と学校の宗教化とに対する抗争であり,民族や国民性の区別を超越しての労農大衆の団結のためであらねばならない〉と目標を規定して,運動を国際的に展開するにいたる。
[日本]
日本でも第1次大戦後,経済的変動の影響を受けて待遇改善を要求する教員組合運動が各地に起こり,1919年に下中弥三郎を中心とする啓明会が成立してからは全国的な運動に広がった。…
※「Educ-Intern」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」