世界大百科事典(旧版)内のErmesindeの言及
【ルクセンブルク】より
…現在のルクセンブルク市に城砦がつくられ,その周辺にまとまった支配領域としてルクセンブルク伯領が成立したのは10世紀後半で,12世紀前半までの版図はゲルマン語地帯に限られていた。12世紀後半ルクセンブルク伯位がナミュール伯家に移ったことから,ロマン語地帯との関係が深まり,ナミュール伯家から出て第2期ルクセンブルク家の始祖となったエルムザンドErmesinde女伯(1196‐1247ころ)のもとで,伯領内部で両言語地帯が拮抗することになり,ゲルマン世界とラテン世界の境界という性格が確立した。その後ルクセンブルク家は南東にも進出して,モーゼル川とムーズ川の間を領域とするに至り,1308年にはハインリヒ7世が,同家出身の大司教たちの支持で,神聖ローマ皇帝に選ばれた。…
※「Ermesinde」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」