世界大百科事典(旧版)内のErnestinerの言及
【ザクセン】より
…そして,これ以降,ウェッティン家の領有するその他の諸邦も,ザクセン選帝侯領Kurfürstentum Sachsenの名を冠してよばれることになったのである。 ところで,1485年の家産分割に際してこのウェッティン家の領土は2系に分けられ,エルンスト系Ernestinerは選帝侯位とウィッテンベルク,ならびにチューリンゲンの大部分を,他方のアルベルト系Albertinerはマイセン辺境伯領と旧プライセンラントなどを領有することになった。これ以後,両系のウェッティン家はそれぞれ別個の政策を追求し,例えば,宗教改革に際して,エルンスト系のフリードリヒ3世賢侯(在位1486‐1525)がルターを支持し庇護したのに対し,アルベルト系のゲオルクGeorg der Bärtige(在位1500‐39)はそれに反対し,彼の死後はじめて同系の支配領域にも改革が導入された。…
※「Ernestiner」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」