世界大百科事典(旧版)内のFaehlmann,F.R.の言及
【エストニア】より
…ニスタットの和約でロシア領とされた後,ヘレンの手で北エストニア方言による聖書の完訳(1739)が出版され,これがエストニア文語の基礎となった。やがてフランス革命の余波を受け医師フェールマンF.R.Faehlmannはエストニア学術協会(1838)を組織し,エストニアの民族的覚醒を鼓吹した。彼の友人クロイツワルトは伝説的叙事詩《カレビポエク》を書きあげた。…
【カレビポエク】より
…19世紀前半の民族的ロマン主義の影響をうけ,直接にはフィンランドの叙事詩《カレワラ》の出現に刺激されて世に送られた。20章約1万9000行に及ぶ大作は,フェールマンF.R.Faehlmann(1798‐1850)の手でエストニア各地から収集された散文の資料をもとに,友人のクロイツワルトF.R.Kreutzwald(1803‐82)が民謡の韻律や対句法を用いて詩の形式でまとめあげたものである。出版にあたって当初多くの困難にであったが,1862年,普及版が発行されて国民的反響をよんだ。…
※「Faehlmann,F.R.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」