世界大百科事典(旧版)内のFlavioBiondoの言及
【ローマ没落史観】より
…ルネサンス期,現実の都市ローマの落(ちようらく)と遺跡が語る過去の栄光は,イタリア人文主義者の間に愛国的ローマ理念を芽生えさせ,同時に中世との訣別の自覚は彼らをして古代と中世の境界に目を向けさせた。ペトラルカは共和政的自由の終焉にローマ没落の兆しをみ,フラビオ・ビオンドFlavio Biondoは没落の内因にも目を向けつつ,最終的には西ゴートによるローマ市略奪の年(彼は412年とする)から没落が始まるとした。イタリアの現状救済を第一義としてローマ盛衰原因論を考えたマキアベリは,ポリュビオスの政体循環論を継承しつつ,共和政体をよしとし,カエサル以後の独裁を堕落形態とした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」